kuniko71st700’s blog

都立国立高校71期2700のブログです!!文化祭に向けての活動などを綴っています!!

先日観た、「足跡姫」の考察!

[足跡姫、考察]
先日見に行ったNODA・MAP「足跡姫」(←ふたつ前のブログ参照)の感想、及び戯曲(新潮第143巻第三号より)を読んだ後の考察を書きます。
f:id:sewohayami0124180:20170708011302j:imageまず、この作品は作者野田秀樹の18代目勘三郎への追悼、及びオマージュで完結している。逆に言えば、普段のNODA・MAPの社会批判的な部分(「エッグ」なら満州の人体実験、「半神」なら結合双生児)は少なかったのかもしれない。
野田さんは、アングラ演劇世代の蜷川幸雄唐十郎などよりはひと世代遅く、今までは足跡を追う側のひとだった。しかし、蜷川幸雄唐十郎も死に、同世代で活躍してきた勘三郎さんや、三津五郎さんもいなくなってしまった。このことに対して、野田さんが彼らの足跡を見つめ、追悼し、「俺が足跡を残す側になったのか」と重い腰をあげた作品、私は足跡姫をそう捉えた。
ここで主人公出雲の阿国の弟サルワカの台詞を引用する。場面は、クライマックス、阿国が死んでしまった後のシーン。
「そして、僕がその(歌舞伎一座、猿若座)初代猿若勘三郎になる。(中略)やがて初代の猿若勘三郎の肉体も消える。だが、消えても、消えたのに、消えることなくずっと続いてみせる。(中略)二代目、三代目、いやもっと、、六代、七代、ううん、十二、十三、十四、十五、十六、十七、十八、、少なくとも十八までは。」
故中村勘三郎は18代目である。泣ける。歌舞伎ファンでなくても泣ける。このときのサルワカ役の妻夫木聡は、迫真の演技だった。いや、足跡を追う側として、演技ですらなかったのかもしれない。
パンフレットにある勘三郎さんの「足跡はさぁ、消えちゃうからいいんだよ」という言葉からも分かるように、演劇は生の、「肉体の」芸術である。だから、見逃したらもうその作品に出会うことは出来ない。事実、私も蜷川さんの舞台にも、唐さんの舞台も生きているときには見れなかった。後悔がつのるばかりだ。しかし、「足跡姫」は見れた。本当に見れてよかった。
自分も足跡を残せる人になってみたい。小さい範囲だが、国高祭演劇において足跡を残せる作品を作れるよう頑張ろう、と気合いが入った。f:id:sewohayami0124180:20170708011314j:image